物事を行い、何かを為そうとしている人物なり集団なり法人格なり、そういった物にはつくづく「品格」とこうありたいという「理想」は必要、と思うのだが、理想というのは大なり小なり、誰でも持っていて、その理想の大きさ、そこに向かうと言うことをどれだけ大事にしているか、と言う程度の差のように思えるのですが。
理想に邁進するための手段、そこに至る道程での手段や一つ一つの目的地設定、そういうところに「品格」という物がないと、成功しようが失敗しようが、結局はダメだ。
「勝てば官軍」とはいうものの、人から鼻白まれる手段で成功してもな、という感じで。
結局、そういったところで人倫の遵守や人からの尊敬を集めつつ事を為すためには、「品格」という物を持つ、というのが重要なのではないかと思われます。
昔、東北の某県で子供二人が殺されるという事件があって、この劇場型的な犯罪のために全国の報道陣が片田舎に集まり、そのため、近くの商店などが非常に潤ったそうです。(裏は取っていないのですが、地元の方からはそう聞きました)
ですが、一時的に潤ったからと言って、その原因はそもそも殺人事件でありその土地にネガティブイメージを与えるようなこと。
そんなことをまさか喜んではいけないのです。
最近、製造日時、産地、賞味期限や消費期限、内容物などを偽って商売を行っていた会社が次々と白日の下にさらされています。
彼らにも創業の理想などきっとあったことでしょう、だから、全ての、事を為そう、成功しようという人、集団、法人格には、それぞれの理想を大切にし、行動に品格を持って欲しい、人やお客さんを裏切ったり呆れさせるような行動が、一時的に何らかの利益になったとしても、それは「今まで頑張って育ててきた森を、一気に焼き畑農業を行って一時的に大きな収穫を得るような物」に過ぎません。
中国に伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)兄弟の伝記という物があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%AF%E5%A4%B7 wiki
これは儒教をバカにする立場からすると(孔子様がやたらお気に入りのエピソードのため)「この兄弟バカだよなぁ」という扱われ方もされるのですが、要はバランス感覚の問題であると思われます。
この兄弟にはせめて餓死しないほどには生きていて欲しかったのですよ。
これほどに潔癖に生きろとは言いませんが、自分の理想に向かって進むこと理想へ向かう気持ちを守ること、をせめて命の次くらいに大事にして欲しい。
そして、そのような理想と器を持った人になら、この病身をも顧みず病床より這い出て仕えたいなと思うものです。
汚れ役はもうまっぴら御免ですが。
物事をはじめる時、理想という物はより純粋に持っている人が多いと思います。
でも、その理想からずれた行動をはじめると、その周囲の人間は違和感、さらには裏切られた感じというのを得ます。
ずれた行動をして問題がないと、さらにずれていき、そして理想を持っていた人間自身も自分を見失いはじめます。
「国を良くしよう」という思いが、いざ権力を持つと自分のやり方に反対する勢力の誅殺になったり。
「安い肉をご家庭に」という思いが、いつの間にか産地や内容物や色々を誤魔化した合成肉作りになったり。
だから理想という名の到達点、そしてその道程における品格ある歩み。
それらを決して忘れず、事を為そうという人は邁進して欲しい物です。
でも…
最初はそう思ってる人間もかなりの確率で軸がぶれるんですけどね?
だからこそ「他人様の青雲の志」を知っていて、その人間が変なことをした時の「ああ、シーザーお前もか…」感は何というか表現し尽くせません。

矢野芳典 URL 2007年11月27日(火)19時06分 編集・削除
ただこう、伯夷・叔斉の話って、理想に向かって進むと言うよりは、後退した理想に殉死するって感じで、余りポジティブではないのですよね。
そこの部分が用例としては問題です。
入水自殺した屈原…うーん違う。
自分自身でいえば、その才は遠く遙かに及ばないけど。
前漢成立時の功臣「張良」のようでありたいと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF (wiki)
さりげなく今の自分の置かれた立場について見事にネタバレしていますが。
それじゃ、仙人になってきます。